スピリチュアル ライフスタイル

怒りが抑えられず、困っているのですか?

◆怒りが暴れ出すと人も自分も傷付けるようになる

物事が順調にいっているのに怒る人はいません。

「怒る」のは、物事がうまくいっていないから。

コロナ禍の前、朝の番組で近所迷惑なことをする人を取材するシーンを見ていました。

たいていの場合、その解決策は見つからず、警察沙汰になってやっと一時的に難を逃れるといったパターンであるようです。

「○○が悪いから」などの主張の殆どは、筋の通らない「いいたくれ」で、

迷惑な行為の多くは、自分の人生が「うまくいかない」ことへの怒りから発せられているように思えます。

勿論、精神障害・認知症など病気のケースもあると思いますが、暴言を吐いたり暴力を振ってしまった時、

人は相手の心や身体を破壊しながら、自分の心や身体を破壊しているともいえます。

◆怒りのコントロールは難しい。それでも負のループからは早く引き戻されよう

たいていは

「怒る」ことはよくないので、感情を上手にコントロールしましょう、と言われます。

また、そのためのテクニックやハウツー本もあると思いますので、参考にしたり日常的に意識しておくことは大切だと思います。

例えば

・心を落ち着かせる行動(深呼吸するなど)をとる

・怒りの発端となった人の行為を、具体的に伝える

・怒るべき内容かどうか考える、

などがあると思いますが、

「怒り」が湧いている時にそれをしろと言われても、そもそも冷静な心境ではないのですから、

私はなかなかできないのではないか、と思うのです。

怒りの原因としては、起きた問題に対して、

前向きな解決法を得られない

と、思ってしまうこともあると思うのです。

この修復はできないのだ、という気持ちにさせられた時

「だからいったじゃない!」

「どうしてくれるのよ!」

などといった、怒りの言葉が発せられます。

年齢を重ねて丸くなっていくのは、他にも対処の仕様があるとわかってくるのと、過去の大変な出来事に比べたらなんてことないさ、という心の余裕ができるからかもしれません。

さっきまでムカムカしていても、解決法を得られた途端、平常心に戻ることも多かったりしますよね。

そもそもが忙しくてピリピリしている、

何らかの事情で心や身体に余計な負荷がかかっていて、怒りを招きやすくなっている状態にあなたはなっていて、

いきなり、突然怒りが湧く、というのではないのだと思います。

何がそうさせているのか、睡眠時間が不足していて疲れやすくなっているのかもしれない、運動が不足しているのかもしれない、などといったことも併せて考え、生活改善のきっかけになれば、怒ったことにも価値があるというものです。

一旦怒りが湧くと、なかなか平常心に戻りにくくなって

怒って後悔して、「怒りたくないのに」とイライラして、負のループに落ちていきます。

その負のループから引き戻してくれる一つは、

人との関わり合い

ではないか、と思います。

とりわけ、若い頃には、時間もないうえにいろいろなことの板挟みになっていたりするものです。

おまけにエネルギッシュです(^_^)

そうした、思うようにならない現状から怒りの抑えがきかなくなることがあります。

かつて、自宅に一本の電話がかかってきたことを懐かしく思い出したのですが、

受話器をとると、なんと知人のご主人のお母さんからでした。

つまり、知人のお義母さんにあたる人です。

私は紹介されて知ってはいましたが、普段からコミュニケーションがある、というわけではありません。

「え?」と思っていると、先方からこんな依頼をうけたのです。

「ご迷惑でなかったら、今○○さん(隣に居住しているお嫁さん)に電話してもらえないかしら。」とのこと。

何があったのだろうと急いで友人の家に電話してみると、彼女が息づかいも荒く電話口に出たことから察して、お母さんが機転を利かせたのだと思いました。

(ご主人には妹さんもいて、その妹さんは私の同僚でしたので、電話番号を教えてもらったのでしょう。)

いまでこそお互いの笑い話ですが、彼女は当時、幼い息子を育てながら大変な毎日を送っていたのです。

先の迷惑行為を繰り返す人も、もし人との交友を楽しむ愉快な日常があったなら・・とつい、思ってしまうのです。

仕事や家族のこと・価値観を語り合うことによって心を平常に引き戻し、時には自分では思いつかなかった「自分を安心させるための考え方」を発見し、怒りの出口を塞ぐことだってできたことでしょう。

そうでなくても、気心知れた人との対話は、

自分の味わった体験を理解してもらいたい」という欲求を解消してくれます

◆怒りが報復の行為だとしたら、それは自分をも破壊させる

たちかえってみれば、怒りは自然な感情の発露です。

「怒らないようにする」ことが大切なのではありません。

もしも「怒り」という感情がなければ、世の中の不公平を叫ぶこともできないし、正義を熱く語ることもできません。

怒りを感じてしまった自分を責める必要はない、といえます。

怒りを感じた時、怒鳴らない。」人を傷つけない、それだけでも十分

ではないでしょうか。

この感情が危険なのは「報復したい」と願う時です。

古代哲学者セネカは、

怒りは報復への欲望」だと言っています。

この感情が起きるのも当然ですし、報復して一瞬はすっきりするかもしれません。

ですが、多くの場合その怒りをそのままぶつけてしまったことに対して「後悔」の念に苛まされ、良い結果をもたらしません。

何より人は、人を傷つけるために生きているわけではないからです。

冷静な時、私達はそれをよく理解しています。

先のセネカは

人間はお互いの助け合いのためにうまれた。怒りは破壊のために生まれた」と言っています。

怒りが湧くのは仕方ないとしても、それが破壊に繋がるのでは、人間の存在に矛盾します

◆怒りが湧いたら、本当の敵を意識する

時折、著名人がTVで怒りをあらわにしているシーンを見たりしますよね。

それだけならまだしも、人の心をえぐり、傷つけるような発言をする人もいます。

たいていは自分の人格に傷がつくとかを考えたなら、大衆の面前でそうした表情や暴言を慎むことができそうなものです。

そうした、何かと感情の抑えがきかずトラブルを抱える人というのは、

踏ん張る力」が不足しているのかもしれません。

では、その踏ん張りはどこからくるかというと、「誇り」ではないかと思います。

お札の肖像新渡戸稲造をご存知ですよね。

彼の書籍の中に、こんな言葉があります。

侍は、みだりに刀を差していたのではない。

高貴な者の義務を象徴する刀を放棄したとき、私はしばらくの間、高い台座から落ちてしまったような感じがした。

そして、これからはなににも縛られずに気ままにできる、

すくなくとも、あんまり良心の咎めや恥に苛まれずにおられる、と思ったものである。

道徳観が無感覚になる危険状態にあった

 

昔は、臆病になったり無作法になったりすると、いつも私の脇差しの刀が

「恥を知れ」と叫んだものだった

刀とは、誇りや義務の象徴であったようです。

それを捨てたことで、道徳感・作法・精神のよりどころまで失ったようだ、と嘆いているわけです。

少し大げさかもしれませんが、

抑えが効かず怒りをぶちまけそうになった時、自分のブランドに傷をつけてはならない、

と意識することも有効的かもしれません。

確かに、

怒りは相手によって・状況によって引き起こされるかもしれません。けれど

敵は決して他の誰かなのではない、

自分自身の怒りなのだ、 そうわかっていることが大切です。

 

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