スピリチュアル ライフスタイル

退屈すぎて辛くなっていませんか

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◆突然の空白時間に怯えるのは当然かもしれない

 

私の近所には公園があり、いつもお年寄りや子供で賑わっています。

 

子供達はスマホやゲームがなくても、何がなくても楽いことを見つけ出し、夢中になれて羨ましいなぁと思いながら見ています。

 

この世界の自由を思い切り楽しむことができるのです。

 

けれど社会人になると、とりわけ「会社員」として働き始めると、会社に「服従」して生きるようになります。

 

(勿論服従ではなく、創造性を発揮して楽しんでいる人もいますが、ここでは形式としてお話しています。)

 

それは「自由」とは対極にありますが、慣れてしまうとそれが心地良かったりします。

 

会社の要求に「理不尽さ」を感じていたとしても、明確な旗を掲げているため、生き方について迷うことはありません。

 

こうした他者への服従になれてしまいがちだと、自由をうまくつかいこなせなくなっていきます。

 

年末にスケジュール帳を買ったら、それを事前に真っ黒に埋め尽くさないと心もとなく感じる人は多いかもしれません。

 

ニーチェは言います。

何からの自由?そんなことには、ツァラトゥストラはなんの関心もない。

君の目が私に明らかに言わねばならぬことは、「何を目指しての自由か」ということだ。

 

会社にいればやるべき仕事をこなし、家に帰れば炊事・洗濯・育児に追われ、何かしら動き回っている日常にぽっかり予定がなくなり、空白の中に投げ出されてしまったら、慣れない状況にどうしてよいかわからなくなるのも当然かもしれません。

 

◆退屈で死ぬことはないけれど・・。

 

親から

「退屈で死ぬことはない」とよく言われたものですが、心が死んだようになったりします。

 

ちなみに茂木健一郎さんは退屈を非常に嫌う子供だったらしく、「今 ここからすべての場所へ」の書籍の中で、こんなことも言っています。

 

大切なのは、自分が知らないことを知ることだけではない。

中略

「今 ここ」には届かない様々なもの(すなわち不確定であり、可能無限であるもの)を思いやる心の状態自体に、固有の価値があると考えるべきなのだ

中略

想像力とは、すなわち、自分自身の中にある「空白」に対する感性であると言ってもよい

 

 

たまには宇宙の森羅万象について思いを馳せ、生きる意味を問うてみるのもよいかもしれません。

 

力づくでなんとかしたり、「暇なのはよくない」と否認していたりしてしまうのはもったいないことです。

 

あっけなく過ぎていく隙間時間に「行動」が伴わず充実感がなかったと思えるなら、ニーチェのいうように自分は「本当は何をしたいのか」を考える契機にするのがよいかもしれません。

 

 

◆退屈になってしまうのは「受け身」で生きているから?

 

「やらなければならないから」

 

「こういう打ち出しだから」といった受け身でなんとなくやっているとしたら、それは「流れに」身を任せ「流されている」ことになり、その退屈は「惰性」で生きていることをあなたに告げています。

 

それは「魂の危機」でもあります。

 

あなたのよりよい未来をつくろうとする心が失われているからです。

 

もしも、他の人から「なんか疲れてるみたい」と声をかけられたなら、森林欲など心や身体がリフレッシュできる場所に行くことも大切です。

 

ただ、本当に求めているのは「魂の栄養」です。

 

自分に敬意を払わないまま人のために貢献し続けていると、エネルギーを消耗するだけになってしまい、したいと思っていたことも、

「なんだかつまらなく感じる」ようになってしまいます。

 

魂に活力のある時、あなたは誰によって楽しませてもらわなくても、喜びがある場所・快適な場所にいることができます。

 

あなた自身が「喜び」だから。

 

充実した人生はスケジュール帳のなかにはありません。

 

あなた自身の内面にあるものです。

 

内面を豊かにすることさえできれば、いつでもどこでもこの世界の価値あるものをうけとることができます。

 

◆何もしない時間にも意味はひそみ、未来を描いている

 

あなたは同じ「退屈な時間」を外にでて味わうこともできます。

 

ふと思い立って外に出るとき、靴を選び履くとき、鏡を見て服装をチェックするとき、あなたは特に意識をしていないかもしれません。

 

けれど、その行動の一つ一つが目的への連鎖であり、あなたの手にかけること・することはなんでも未来に繋がっています。

 

日常的な無意識の中で行われていることには意味がないように思えるので、ある場所に導かれているなんて気付かずにいます。

 

ふとした瞬間に誰かを思い出したり、何かを考えたりして、大切なものを得るヒントをもらっていることもあります。

 

あなたの精神と意志が必要なのです。

 

よりよく導かれるために。

 

祈りはそのためにあります。あなたの心を清浄な方向に動かし定めるために。

 

内面には、自分を退屈から救い出すものが満ちあふれて、出番を待っています。

 

それはあなたの心からわき出るもの。「情熱」と呼ばれています。

 

誰かに「受け止めて」もらうためではないもの。

 

あなた自身を生かすもの。

 

退屈で辛いと感じているあなたは、本当はいつだって「現状に満足」してはいません。

 

好奇心に駆られ、幾つもの人生の扉を開き、新しい自らのあり方を模索し続け挑戦してきたスピリットだから。

 

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