スピリチュアル 人間関係

仲間外れにされているのですか

 

仲間外れにされても、その他の世界の中でうまくやっていけばよい

何度かお話していますが、学生時代も社会人になっても「仲間外れにされる」のがもう普通で、

私の人生にはつきものだという境地にまで達しています(笑)。

私もかなりの変わり者だとわかっていますが、仲間外れにされる直接の原因はいつもわかりません。

ひょっとしたらそう思っていただけなのかもしれない、とも考えたりします。

その時期のことだけ記憶から「抜け落ちている」ようなことは実際にあるようで、「健忘」と言われています。

私もそうですが、同じような立場にいた人達と話しをすると、何故かその頃のことはあんまり覚えていなくて、

最近も「あの頃、辛かったよね?」なんてきくと、一緒に仲間外れにされていた私のことも忘れられていたりするのです。

本当に、記憶に蓋をして自分を守っているんだな、と思います。

何かの拍子に蘇ることもあるそうですが、今のところ、その「何かの拍子」に出くわさずにすんでいます。

自分の記憶が曖昧な時期は、たぶん忘れていたいような時期なのだと思うようにしています。

どんな辛い時間もとても長く感じるもので、永遠に続くのではないかとさえ思いますが、

長い年月を経ると、一時期友人関係を築けなかったことなど大したことではなかったと思えます。

中学、高校とあがるにつれ、社会人になればもっと友人関係は広くなり、そこだけが居場所というわけでもなくなります。

クラスや所属する組織の「多数」から疎外されても、過去に築いた濃い関係がどこかで続いていれば、心の痛みは少なくなります。

転校・転勤などの事情から、そのような関係が薄れてしまっても、自分には他の場所に友人がいる・仲間がいる、家族がいるのだ、と

「自分には別の世界がある」と思うこと、

人との関係は「そこだけしかない」と限定しないこと、自ら卑屈にならないことが大切です。

仲間外れにされている人もいない人も、その人にとって唯一無二の道を歩んでいる

自分軸」について結構記述してきたのですが、記述しながら理解を深めていったというところがあります。

「仲間外れにされる」と、「外された」ことのほうに意識が向いてしまいますが、実際その人達と仲良くしたかったのかというと、そうでもなかったりします。

あなたも、そう思いませんか。

私なんかは「一人」の時間を使うことはうまくて、積極的に一人を選ぶこともできたわけです。

自分軸をもっていない人はその時間を「何かの罰」のように思うけれど、

自分軸がある人は、自由時間と捉えることができる

そんな風にも書いたと思いますが、少なくとも自分にとってはそう、学生時代は図書室や職員室に入り浸って、それを結構楽しんでいました。

大人になると、そうもできません。

仕事をしていなくても、近隣の井戸端会議や保育園の送迎、PTA関連で行き会うお母さん達の輪に悩まされることもあるでしょう。

私が子育てしている頃が、ちょうど「公園デビュー」という言葉が出始めた時期で、保育園の送迎時、保育園前にお母さん達がたむろしていて、その前をそそそ・・と急ぎ足で通り過ぎていく自分に不甲斐なさを感じることもありました。

自分のみならず、遠足などのイベントでは子供と二人きりになってしまうこともあって、子どもに申し訳ないような気持ちになりました。

ただ、一旦その輪に加わってしまうと時間は大幅に削られ、受け入れてくれそうなキャラを創り出したりかなり面倒なことになりそうで、今だに、そこはどう頑張っても自分には向いていない世界だったと思います。

同じように「ちょっと自分にはしんどい」と思うなら、そうした子育て中に築く関係は、ある一定の時期だけの関係なのだと割り切ることが大切です。

一人では不安な人ほど、組織の中に属していようと頑張っていたりするもの。

集団にうまく溶け込んで見える人の中には、あなたとは別の苦しみがあったりもします。

中心者達からのけ者にされまいとテンションをあげ、話題を準備し、明るい人柄を演じ続けることに苦労していたりもするのです。

実際そうしたこととは無縁になっていくと、「情報」を共有するだけの浅い繋がりは殆ど消滅していきます

仲間外れにされて辛すぎる時は逃げるが一番

学校でも職場でも、「仲間はずれ」によって死ぬほど苦しんでしまうなら、そこから「逃げる」ことが一番です。

逃げる自分はなんて弱いのだと責めてしまうかもしれませんが、いじめも仲間はずれも、する側が100%悪いということだけは覚えておいてほしいと思います。

あなたは優しいので

自分にも非があるのかも」と考えるかもしれませんが、

その人に非があったとしても多数で仲間外れにしたりいじめてよいことにはなりません。

とりわけその集団の中で組織関係者の中にも上司にも味方がいない、背後で自分を肯定してくれる人が一人もいない状態の中にいるなんて

地獄の苦しみ」なのです。

100人中99人から否定されたとしても、たった一人光となる存在がいてくれるなら、その人は生きていくことができます

一旦はその場から逃げるように離れたとしても、別の場所でそれに立ち向かえるだけの力を培った時立ち向かっていけばよいのであり、

生命を投げ出すよりよっぽどマシです。

また、「仲良くなる」ことだけが全てではありません。

あなたがどれだけそうした人達から「遠ざかること」ができるか、それを学ぶこともこれからの幸せに大切なことであったりします。

仲間外れにされている現状を前向きに捉えることはできるのか

「仲間外されるプロ」(笑)の領域までくると、状況を楽観視できるようになります。

魂の成長のためには彼・彼女達の影響を受け、俗っぽい考えに同調したり、影響を受けたりしないほうがよいこともあります。

小さな世界に縛られていては、個性や多様性を容認できなくなります。

あなたには、もっと広い世界が待っていて、

その世界に触れ、広い見聞を広める運命であったりもします。

謂わば

短期集中特訓コース

を選択しているのです。

伝記などを読んでもわかると思いますが、

逆風の中で生きる人は、物事の真髄について「考え」、表面に惑わされることがなくなります。

人は経験によって「知り」、現実を誰より正確に把握できるようになります。

真実を見抜けるようになると、雑多な情報から有効なものだけを選び取っていけるようになります。

これができるのは、世の中に反乱する雑多で無秩序な情報の中から、より崇高な情報や真理をかぎ分けようとする人です。

真実と出会うには、自分の目で見て足で探すことしかないので、

あなたは、分別のある決断を下すために必要な調査活動をしているというわけです。

いつだって魂は完璧なバランスを求め、研鑽すべき課題に取り組もうとします。

その課題には無数のアプローチがあり、

ニーズや動機、立場なども絡んでくるため、進むべき道はおのおの違ってきます。

人格の高い人ほど、前例のないことをやろう、道なき道を進んで模範を示そうと孤高の道を進むことも多いのです。

どうしてか、

選んでこうした課題を背負っているとしか思えないという場合、いっそ「差別されている・偏見の目で見られている」という意識は手放し、

その状況・この課題を前向きに受け止めるようにしましょう。

あなた自身に「仲間外れにされる」要因があるというよりは

あなたの周りに差別と偏見に満ちた了見の狭い人が溢れているのです

あなたが美人過ぎるなど

仲間外れにする人達は、多数側に入らない人をターゲットに選んで自分の身の安全を確保しようと考えることもあります。

苛酷な人生を強いられるかもしれませんが、より広い世界に目を向け、視野を拡大し続けていくなら、あなたの選択肢は無限に広がり自由と解放感を手に入れることができます。

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