覚醒

覚醒とは何か──「本当の私」に目覚める旅

7月 4, 2020

目次

はじめに──「覚醒」という言葉に感じる違和感

最近、スピリチュアルな話題の中で「覚醒する」「覚醒しました」という言葉を目にする機会が増えました。

けれど、

その意味を本当に理解している人は少ないかもしれません。

私自身も、

「覚醒ってなに?」と聞かれると、どこか

抽象的なまま言葉が浮いてしまう感じがしていました。

瞑想?ヨガ?仏陀の悟り?どれも遠いようで、実はすぐそばにあるかもしれないもの。

覚醒は、考えるものではなく“感じるもの”

そもそも、

**覚醒は「考えて理解するものではない」**のだと言われています。それは、

生命で感じ、生命で掴むもの。

つまり、

「理屈」ではなく「体験」と「納得」から生まれる深い理解なのです。


自分の中の仏性に目覚める

仏教の教えでは、

仏陀は「覚者(目覚めた人)」と呼ばれます。

仏陀が悟ったのは、

自分自身の中に尊い仏の命が宿っているということ。

そしてそれは、

私たち一人ひとりにも同じように与えられている命です。

「あなたにはあるけど、私にはない」なんてことはありません。

誰の中にも、平等に仏の生命が息づいている。

そして覚醒とは、

その仏の生命を「知識として知る」のではなく、

生きた実感として、自分のものにしていくことだといえるでしょう。


自由な生命の力を取り戻す

「覚醒」とは、生命の本来の力と自由な働きを取り戻すことです。

現代に生きる私たちは、

社会の価値観や過去のトラウマに縛られ、知らず知らずのうちに「こうあるべき」という枠に自分を押し込めています。

でも

本来の私たちは、もっと自由で、もっと深い愛と智慧を持っているはずなのです。

それは、

苦しみや困難を「意味ある体験」として受け入れ、そこから新しい自分へと進化していく力。

まさに、自分革命と言えるのではないでしょうか。


誰にでも起こりうる「覚醒」の瞬間

先日、若年性アルツハイマーを患った方の話を聞きました。

診断された当初は絶望の淵にいたその方が、

やがて「今だからこそ見える世界を発信したい」とSNSで日常を綴るようになり、

自分自身を少しずつ受け入れていったのです。

自分の現実を受け入れ、そこから光を見出して歩き出す。

この力こそが「覚醒の証」だと思うのです。

日常の中の覚醒──朝の光のように

私は、夢を解釈していますが、

覚醒とはまさに「朝の目覚め」のようなもの

かもしれません

それは、先の見えない暗い時を超え、朝の陽ざしに希望を見出す時のように、

もっと身近で、私達のすぐそばで起きていること

のように思います。

何か特別な修行をしなくても、

誰にでも覚醒のチャンスはあります。日々の苦しみや葛藤の中で、

「それでも自分を生きよう」と決めたとき、人は少しずつ束縛から解き放たれていきます。


覚醒と使命──他者の幸せとつながる生き方

覚醒とは、使命に目覚めることでもあります。

「自分と同じように苦しむ人の助けになりたい」

「誰かの心に灯をともしたい」

そんな思いが湧きあがるとき、私たちの魂は新しい段階へと進化します。

それは、

単なる自己実現を超えて、「他者の幸せとつながる生き方」へと変わっていく。

そしてこの慈悲の心が、すべての命に通じていくとき、私たちは宇宙と響き合うような感覚を得るのです。


覚醒は「生きることが楽しくてたまらなくなる」境地

もしかしたら、「そんな覚醒なんて、別にしなくてもいい」と思うかもしれません。面倒だし、今のままでいいや、と。

でも想像してみてください。

「生きていることが楽しくてたまらない」という境涯。

「私という存在に最高の価値がある」と実感できる日々。

おわりに──「私」という存在に最高の価値がある

覚醒とは、「特別な誰か」だけのものではありません。

誰もが、人生のどこかで、それを手に入れるチャンスがある。そして、

あなたが「私」と口にしたとき、すでに

その「私」の中には、仏の命が光っているのです。

© 2025 Hasuliking Powered by AFFINGER5