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祈りについて<4>祈りは何でも叶うのか

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◆もしも悪いことを祈ったとしたら?

『祈りについて<3>』で終了しようと思いましたら、メールでこんな質問を頂きました。

 

「もしも、誰かを不幸にするような願いをもって祈ったとしたら?」

これについては「その祈りは叶わない」とお答えできます。

 

「呪い」の呪文を唱えて相手を破滅させる・・それはTVドラマの中の話で、実際にそういうことはありません。

何故なら、宇宙自体が「慈悲」の生命で営まれているからです。

 

だから、誰かが呪いなどかけなくても、宇宙の運行に逆らって生きる人は相応の時に改心を迫られる時があるのだと言えます。

 

それは 誰かが被害を被ったからというよりも、その人の生き方が「軌道から外れているから」です。

「被害」は、その人を介して被っている場合もあります。

 

軌道から外れたら、車でも飛行機でも事故を起こし、不幸へと転落したり墜落します。


世間的には、悪い行いをしている人が、どこかで辛いめにあって叩かれたら「罰」だと思うかもしれませんが、人生経験が浅くて人の痛みを知らないのです。

 

自分のしていることがわかっていないから、できるのです。

「このくらいは許されるだろう」

「もっといい思いをしてる奴はいるんだ。自分のしていることなど大して悪いことじゃない」

「自分が不幸なのはあいつのせいだ」

「悪いこと」は、そんな風に思うからできるのではないでしょうか。

 

本当に いけないことだ・これはやっちゃいけない!と心の底から思ったら、自分の心に反することは誰でも「したくない」ものです。

そういう意味では「正気を失っている」のだとも言えます。

 

◆不愉快な人がいるからといって、必ずしも「悪縁」ではない

あなたからしたらムカつくような相手であっても、必ずしも「悪縁」ではなかったりします。

例えば、

会社にとっても嫌な人がいて → その人のことが嫌いな人が結構いて → その人の話で共感できる人が集まる

→ 結構それ以外の人とは一致団結している

 

つまり、その嫌いな人は組織を「団結」させるという役割があるのかもしれません。

 

或いは、

どうしても我慢できなくて → 会社を辞めようと決断した → けれど、せめて辞める前に結果を残しておこうと思った

→ 思わぬ成果が出て、嫌いな人がいない部署に移ることができた → 以前よりも待遇がよくなった

 

この場合は、自分の成長のために一役かってくれた人であるといえます。

「ソウルメイト」ということを視点に置いても、十分あり得る話ではないかと思います。

 

いずれにしても、どのような人も、改心した時には再起のチャンスが与えられるべきだと私は思います。

その罪が重くて、償いきれなくて、この人生では叶えられないかもしれません。

けれど、どんな人にも等しく「生まれ変わる」時が与えられると信じたいではありませんか。

 

仏教では提婆達多と竜女の話も有名です。

 

祈りの章に<4>ができたことで、<5>を作成することにしました。

<5>の次では「竜女」「提婆達多」のことを盛り込んで少し「生死」に食い込んでお話したいと思います。

 

 

 

 

 

 

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